突然の出来事と感情
教科書で習ったこともない、誰かが教えてくれた訳でもない。
お葬式の様子をどこかで見ていても、それは遠くの世界を見ているような感覚でしかなかった。
ところがある日突然「遺族」という立場になってしまう。
どうしたらいいのか、何が起こっているのか、これからどうなるのか。
不安が不安を呼び、心が固まってしまう。
そんな時、決して悪意などない相手の言動が心に突き刺さる。
言葉をかけた相手にも憎しみを抱いてしまう。
そんな自分を責めてしまう。
苦しみを俯瞰してみる
こうした感情の流れは多くの遺族に起こることだと思われます。
私も例外ではありませんでした。
亡くなった家族を恨み、周りの人間を憎み、荒んだ自分を責め続け。
時が経ってあの苦しみはどうして生まれてきたのだろうと俯瞰して考えるようになりました。
両親共に「大往生だったね」という年齢まで生きませんでした。
母は50代で自死、父も30年近く病気と闘い70前半で病死。
夫とは共に白髪になるまで添い遂げることなく、自死という形で永遠の別れを迎えました。
型通りじゃなくていい
そう、亡くなり方が【一般的な型】にはまっていなかったことが心の不均衡を呼んだのです。
周囲の言動も「普通はこうだよね」という自分の中にある【一般的な型】にはまらないと深い傷となってしまったのです。
生まれ方も、育ち方も、環境も、誰一人同じということはありません。
それは同時に【一般的な型】に当てはめようとすると、必ず歪みが起きてしまうということです。
型通りじゃなくたっていい。
自分の人生を肯定していく。
「まさか予想だにしなかった別れだったけれども、私は与えられた生を大切にして、故人が願っていた幸せを・どんなに小さな幸せでも感じ取って生きていこう」と。
あなたにしか歩めないその人生を、無理に曲げることもなくありのままに受け止めることで、やがて苦しみは浄化されていくのだと感じているのです。
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