姉は器用で、何でもそつなくこなせる人でした。
反面、私は運動音痴だし、何かと不器用でした。

ただ一つ誇れることと言ったら〈規則を決して破らない〉

母はそのことを徹底させようとしていたのかもしれません。
前髪を作ることもダメ。
洋服は母が指定したもの。
駄菓子屋に行くことも禁止。
私の友達は全て把握していなくてはダメ。
学校帰りの寄り道はダメ。。。。。。。。

子供の頃はそういうものなのかと思っていましたが、学年が進むに連れ、ちょっと違うのかもと思いだしました。

父の病気のために、住み込みで寮の管理人として母も働くことになった時、母は急激に変わっていきました。
常にイライラし、寮の人たちにまで私にしていたような監視をするようになっていました。

そうした光景に嫌気がさし、「早くこの母の呪縛から逃れたい」と思うようになりました。

「結婚してしまえばいい!」
そう思った私は、勝手に相手を決め、勝手に式場も決め、どんどん話を進めてしまいました。

当然、そのことを知った母の逆鱗に触れました。
けれどその怒りは私の心をますます閉ざしてしまい、母を思いやる隙間は残されていませんでした。

結婚式まであと50日ほどに迫った4月のある昼休み、会社の先輩から「家の人から電話だよ」と言われて出てみたら、それは母からでした。

「幸せになるんだよ」

そう言って切れました。

その日の晩、玄関を開ける時に嫌な予感がしました。
見てはいけないものがあるような気がして。

そして・・・・・

母は命を絶っていました。

母のお葬式がどうであったか、全く記憶にありません。
けれど時間はいつも通りに流れていき、予定通りに結婚式も執り行いました。

16歳年上の農家の長男。
跡取りだ、農作業だ、家事は女の仕事だ・・・・

自分が育った環境とはあまりにも違いすぎました。

4人の息子に恵まれましたが、子供を産んで家事から解放されていたのは産院にいる間だけでした。
切迫流産で入院した時、「退院後も安静に」ということだったのに、炎天下のもと畑仕事でした。

結婚13年目、私の中で何かがプツッと切れました。
母屋の目の前にあるアパートに逃げました。

そこで子供たちと暮らして7ヶ月経ったある日。
母の時に感じた嫌な予感が脳裏を駆け巡りました。

急いで母屋に向かい、少しだけ開いていたガレージのシャッターを開けると・・・・・
夫も命を絶ってしまいました。

「私は人生で2人の人間を殺してしまったんだ」
長い長いトンネルの中で苦しみ続けました。

通ってきた道のりで得たものがあります。
通ってきた道のりの中で気付いたこともあります。

そして今、生きていることへの最大の感謝と喜びの中にいます。
亡き母と夫からの愛情も感じる日々の中にいます。